『遠きの絆(ルーナ・ラー):後編』
「なっ…なにやってんだよっ!!」
まだ冷や汗の残るカルマの一声で、危ういところでアノンとグロスは互いに向けた攻撃を無理に外すことに成功する。
「ゼロ!? 氷の破片で傷つけたの!?」
ハッと我に帰ったユーリがうずくまっているゼロに駆け寄る。シャーは素早く剣をおさめたが、かすかに額に汗が浮き出ていた。
「…相撃ちを狙って?」
レイヤが唇を噛む。ミーアは黙り込み、スティレットが唇を開いた。
「皆さんが何を見たかは大体想像つきますけど、どうやらこれの仕業みたいですね」
静かに見ていたスティレットが微笑みながら氷のペンダントを持ち上げる。中央はひび割れていた。
「それは…? スティレット」
気持ちを落ち着かせるように襟を直しながら、アノン。思わず我を忘れ攻撃に入った自分に多少悔恨の念があった。
「それはと言われましても…ごらんの通りですはい。宝箱が爆発したあとにふよふよ浮いていたのを捕まえたんですよ。皆さんがぼーっとして何人か危険な態勢に入っていましたので試しに壊してみたんですけど〜…正解だったようですねぇ」
「…どうしてお前だけ正気を保てた?」
シャーが尤もな疑問を口にする。「煙にまかれませんでしたか?」とミーア。
「煙? さて……火の精霊さんにはまだご縁がないようですからねぇ…。まぁ私に『大切なもの』がなかったのが相手に取って計算外だったということなんじゃないですかね」
「なるほど…」
レイヤはうなずく。
「今はお前のいい加減さに助けられたってとこか」
「あっ、そういう言い方はひどいです〜」
ペンダントをぽいと放り捨ててわざと泣きをしてみせるスティレットだが、レイヤは知らない振りをする。ゼロの応急処置を施しているユーリとミーアを見て「あれも一歩間違ってれば命がなくなってたのか…」とつぶやく。
「クソッ、タチが悪いぜ!! なんてもん見せんだよ!?」
「……確かにタチが悪いな。しかし……」
カルマに賛同し、アノンは改めて自分達のいる場所を見渡す。
「どうしてこんな場所に移動しているんだ?」
「……狙い済ましたような感じだな」
グロスが無表情に言う。
別の場所にいたはずのシャーとゼロも一緒に移動させられたとは、何者かの意思によってという結論にしか至らない。
「ペンダントを壊したら、私まで皆さんと一緒にここに移動させられたようですね」
スティレットが言った時、
<アイタイ………>
どこからか、かすかな声が聞こえた。
一同は身体に緊張を走らせ、辺りを見渡す。
<ドウシテマダアエナイノ…………>
女の声のようだ。あの青年のものではない。
「お前が幻覚を見せたのかよ!?」
「出て来い!」
カルマとレイヤの声に反応したように、タイミング良く黒い氷壁の一部から女の上半身が浮き出てきた。
ただの身体ではない。氷壁と同じ色の、黒と紫に染められた異様な配色の、質も人間のものとは思えなかった。髪の毛だけが異様に黒光りしている。瞳には白い部分以外なかった。
「……………」
介抱し終わったユーリとミーア、そして汗びっしょりになりながらゼロも「彼女」を見上げる。
「あれ…なに?」
わざとなのか多少の恐れを覚えたのか小声でユーリが尋ねる。誰が返答するより先に、ミーアが進み出た。
「……半ば無意識のようです…。何をしたのか、自分が誰なのかも既に忘れているようです」
「こいつが氷の鏡持ってるのか?」
カルマが言うと、ぴくりと女の身体が動いたようだった。
<カガミ………ワタシヲトジコメタアノカガミ………>
声が震える。
氷壁と共に。
「たっ退却をっ……、」
危険を察知したアノンが判断を下した時には、一同の背後でカシャンと大きな音を立てて入り口を塞ぐように巨大な氷柱が落ちていた。
「閉じ込められたな……」
「…………」
シャーとグロスは冷静に、再び武器を抜く。
氷の破片が四方から一同に襲いかかってきた。
「いっ、いたあっ! これ影縫いできるのかなぁ!?」
肩を掠られたユーリが試しにやってみるが、効かないようだ。武器を使える者は襲いかかる破片を粉々に砕き始めていたが、次第に疲れを覚えてくる。
魔導組のほうも、あまり効果を得られない。
「やめてください……」
ミーアが真っ先に氷漬けの彼女を見上げ、ハッとする。
異様な配色を持った女は、白い瞳から氷の涙を流していた。コツン、コツンとかすかな音を立てて氷の床に滑り落ちる。
「哀しみが大きすぎて…制御できないんですね……」
ミーアは黙って目を閉じ、歌を歌い始めた。優しく切ない、恋物語を綴った歌。
<…………ソレハ…>
氷の破片、それの暴走が途端に止まる。
<…ソノウタ…ムカシノワタシトアノヒトヲオモイダス………>
襲いかかってきていた破片が急に床に落ちる。
「今だ!」
アノンが判断を下し、レイヤが矢を射る。カルマとシャー、グロスが女に向けて武器を振り下ろす。
「私達は動かないほうがよさそうですねぇ…」
つぶやいて後退し、無防備の形になっていたゼロの傍に行き、安全な場所であることを確認して皆の様子を見守る。
「や…やめて…哀しがっています……、」
歌を中断したミーアだったが、不意に青年の声が聞こえた気がし、言葉を呑み込む。
『破壊してください…彼女を』
アノンの耳にははっきりと聞こえた。
『どうか彼女を自由に………』
幻亭での凶悪的な行動を取ったものの声とは考え難いほど、憂いと愛しさの混じる声。
青年が言うより早く、氷漬けの女の身体がピシリと音を立てた。
<………アソード…アナタノソバニ………ヤット…>
からんからんと身体を象った氷の節々が崩れていく。
『おいで…ルーイ』
青年の声は笑みを含んでいるようだ。
<……マタセテ…シマッタノネ……ゴメンナサイ…>
その言葉を最後に、女の身体は完全に崩れ落ち、氷の床と同化した。
沈黙が少しの間流れ、不意に「あ」とレイヤが気付いた。
彼女が崩れた跡、氷の山になっているそこに何かを見つけ、掘り出す。
「氷の鏡……」
ユーリがつぶやく。
レイヤの持っているそれは、両手を広げて更に一回りくらい大きな丸鏡。銀色の枠の中、氷の鏡面にレイヤとユーリの顔ではなく、美しい女性と青年の姿が映し出されている。
『その鏡を…壊してください』
青年の声が聞こえる。鏡面の二人は写真のように微動だにしない。判断を仰ぐようにメンバーの一人一人の顔を見、最後にアノンの小さな頷きを確認したレイヤは、氷の鏡を叩きつけた。
しゃん、………!
澄んだ音と共に鏡は砕け散る。やがて床の氷と同化していった。
『ああ…やっと一緒になれる…ルーイ』
青年の声から狂気が消えていく。否、先刻から既に幻亭で感じた異様さは失せていた。
『…手荒な真似をしてすみません』
ふっ、とそこに青年が現れる。すらりと背の高い、不思議なローブを纏った彼の腕にはぐったりと横たわった紫色の髪の女性。顔つきから、氷漬けにされていた女と同一人物だと分かる。
『ぼくはこの山を護る守護神でした。そして彼女はこの山の下の小さな湖に住む人魚…彼女もまたその湖を護る者だった』
片手を挙げると、空中に幻亭で皆が見たあの分厚い本が現れる。
『……ここに、ぼく達のことを全て綴ってあります。たった一人のぼくの友人でもある吟遊詩人が書き留めてくれました』
「………理屈っぽいことかもしれませんが…」
ミーアが尋ねる。
「山の守護神と水の守護神は一緒になって許されるのでしょうか?」
『………許されませんでした』
青年はあっさりと認める。
『だから、愛し合ってしまったぼく達は罰を受けて氷の鏡に封印されてしまったのです。…………千年もの間』
「千年……」
一同は息を呑む。
「だけど…だからってあんな仕打ちすることねぇだろ!?」
カルマは相当頭に来ているらしい。
『…すみません。ルーイが自我を失ってしまったのがぼくにはとてもつらかった…。だから思わずぼくも我を忘れてしまった…でも確かにひどいことをしました。お詫びします…』
青年は自戒するように瞳をきつく閉じる。
(そうか…この人魚の鱗はあの女性の……)
アノンはポケットに入れたままだった人魚の鱗を握り締める。青年が抱きかかえている女性の下半身は魚のような鱗で覆われており、一片だけが欠けていた。
「…これは返すぜ。あんたが大切に持ってたものだろ」
差し出すと、青年は微笑んでかぶりを振る。
『もう一番大切なものは戻りました。それは会えない間の彼女の形見……。でもやっと会えた。これでもう…ぼくも彼女も、自由に……』
声と共に、すぅっと二人の姿が消えていく。
「どうか…お幸せに……」
ミーアがつぶやく。
ふと、シャーの背面の氷がパリンと音を立てる。危険を察知した彼と、そして隣にいたグロスがほぼ同時に「逃げろ!」と叫ぶ。
声を合図にしたように、がらがらと氷壁が崩れ始める。
「痛い痛いいた〜い!」
「あ、でも溶けかけてます…氷……」
「でも痛い〜!」
虚ろなゼロを両脇から抱えながら、一番遅れて入り口に向けて走っていたユーリとミーアは、「駄目だ、氷柱を破壊する前に俺達がつぶされるぜ!」というカルマの声を聞く。
「あそこから魔力と攻撃で行けば突破できそうな感じがしますけど…」
スティレットが指差した先は、人魚が氷漬けにされていた場所である。他の個所よりうっすらと光が透き通っている感じだ。
再び全員は半分溶けかけた氷塊を潜り抜けながら逆戻りする形になった。
「全員でいくぞ!」
アノンが声をかける。
ゼロを除いた一同はすぐさま準備に入り、整ったのを確認すると、アノンの掛け声で薄い氷壁に向けて一斉に攻撃をかけた。
既に全員の膝上まで溶けた氷水が浸っている。がらがらと氷壁が崩れ落ち、パァッと明るい光が射し込んでくる。
「やった、崩れた!」
「早く出るぞ!」
「ま、待ってよ〜! ゼロが重い…!」
「手伝いますよ、とにかく早く…」
「早くしろ! 今の衝撃で一気に崩れてくるぞ!」
寸でのところ、ミーアの殿を守っていたシャーが駆け出たあとに氷が崩れ落ち、水が流れ出る。
「高いところへ! 山を降りている時間はないぞ!」
「でも氷が崩れたんなら高いとこ行ってもうちら一貫の終わりじゃないの〜!? アノン!」
「大丈夫だろ、あの洞窟だけ氷だったんだ」
「とにかく行くぞ、頂上が見えるとこにある、なんとか間に合うぜ!」
レイヤとカルマに言われ、ユーリとミーアも息を切らせながら走っていく。
頂上につくと、先ほどの洞窟から下に向けて宛ら滝のように氷水がきらきらと光に反射しながら流れていくのが見えた。
山の頂上は寒かったが、不思議な清涼感のほうが強く、皆の胸からすぅっと何かしこりのようなものが引いていった。
しばらく息を切らせていた全員は、次第にそれもおさまり、そこに小さな銀色の箱が置いてあるのに気がついた。
「…なんだろ?」
真っ先にユーリが手を出す。様々な宝石やアクセサリが入っていた。
「あ〜、今度こそ宝物だ〜!」
ユーリが嬉々としてはしゃぐ。
「でも誰のものだろう…?」
レイヤの疑問に、アノンがこたえる。
「…恐らくこの山の守護神が置いてってくれたんだろうな」
「…こんなもので恩返しにもならないとも言っているのがついさっき聞こえました……」
ミーアも続ける。
「じゃあみんなで山分けするか?」
カルマが言い、それぞれに配分される。「いいんでしょうか……」とミーアが言ったが、「罪滅ぼしも入ってるんでしょう、きっと。もらえるものはもらっておきましょう」とほのぼのした口調でスティレット。
「それにしても……何か、歌を歌いたい気分です……」
ミーアが、美しい太陽の光を見てそう言う。
「……こういう朝も悪くないな……」
グロスも目を細める。
「外か………」
シャーはゆっくり息を吸い込み、吐き出す。
「太陽が眩しい……」
カルマが言うと、
「…はぁ〜、なんとか無事に帰れそうだね〜」
とユーリ。
「…朝飯でも食いに行くか!」
幻亭での一件から、初めてアノンの顔に笑みが戻った。スティレットも「そうですね、おなかがすきましたねぇ」と微笑んでいる。
「帰ろうぜ」
レイヤが言い、皆は帰路を辿り始める。
幻亭は相変わらず冒険者達で賑わっている。
青年のあの本はいつのまにかアノンの持ち物の中に入りこんでいたが、その後昔の伝承を研究しているギルドに寄付したらしい。そのギルドで彼は「ルーナ・ラー」とは『遠きの絆』という名の古語だということを知った。
あれから誰も悪夢を見た者はいない。
大切なものはもう失っていない。もう手放さない。夢の中でも、現実の中でも。
そう、
……もう二度と。
《遠きの絆(ルーナ・ラー):完》